東日本大震災から4年。当時を振り返った海外の声を紹介します。
■海外の反応
・当時のニュースを見てとても悲しい気分になったよ。家族や家を失う人々を見るのは本当に悲しい。
・日本で帰国前の送別会に参加していたよ。震災時は祖母から電話があって、彼女は僕が死んだと思ったらしい。僕は大丈夫だよと言い聞かせ、そこから二日間はディズニーランドのホテルに泊まり、ずっとニュースを見ていた。
・当時、アメリカに住んでいて、自分では何もしてあげることができないことを知った。あの日した事といえば、泣き明かすぐらいだったよ。
・妻と表参道から埼玉まで歩いて帰った。夜は、王子にある中学校に泊まったな。家に着くまで15時間かかったよ。
・被害がどんどん広がっていくのを見ても何も出来ない。自分がいかに無力かっていうのを思い知った。
・今までで最悪な日。Skypeで彼女と話していたら、突然通話が切れて、何が起きたのかわからなかった。その後、津波のニュースを見て、日本人の無事を祈ったよ。特に日本に住んでる彼女が無事でありますようにとね。
・最愛の日本にあんなことが起きるなんて、信じられなかった。泣いたよ。
・日本のために祈ろう。犠牲者の方々よ安らかに。
・震災が起きた時は学校にいたな。次の日が16歳の誕生日だったんだけど、多くの人が亡くなり、翌年の誕生日を祝えない人がたくさんいるから、自分の誕生日祝いはしないことにした。それから毎年3月11日は慎ましく過ごし、自分の持つもの全てに感謝するようにしている。
・とても怖かったわ。東京でまさかこんなトラウマを植えつけられるなんて・・・。今でも鮮明に覚えてる。
・震災の起きる1週間前まで横須賀に住んでたんだ。震災が起きたときは日本の友達のことがとても心配だった。ニュースを見てるだけしかできない自分に無力さを感じたよ。
・俺は当時日本で働いていたが、どう感じたかなんて言葉じゃ説明できない。
・震災時の津波の写真などを見ていたら、涙が出てきた。日本がとっても大好きなのに。悪い夢であってくれと願っていたけど、悲しいことに夢ではなかった。
・朝起きてからテレビをつけると、この悲劇のニュースが最初に飛び込んできた。何か助けになればと寄付を送ったが、自分が実際に手助けしに行けないことが悲しかったな。こんな悲劇がもう起きない事を祈ってるよ。
・震災が起きた時、私は山形県で仕事中だったんだけど、地震の揺れがとても怖かった。あんな揺れを体験したのは今までの人生で初めて。友人にすぐに電話をして、日本が大きな地震に襲われたことと、私達は無事ということを伝えたら、電話がつながらなくなり、街全体が停電したっけな・・。
・日本に神のご加護がありますように!
・アメリカのイリノイ州でバスの運転手をしている。当時は生徒達を家へ送っていたんだが、道路の曲がり角で子供達がたくさんいるのを見つけた。「日本が好きならクラクションを鳴らして!」というプラカードを掲げていたので、思いっきりクラクションを鳴らしたよ。子供達も「Yeah!!!」と答えてくれた。震災後、ニュースや「PRAY FOR JAPAN ~心を一つに~」などの映画を見て、日本が震災後にどれだけ皆で力を合わせて取り組んできたかを知り、彼らをとても尊敬している。俺の国の人達もこうであってほしいと願うね。
source
もうあれから四年も経ったのですね。
震災によって亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、
被災者の方々の回復そして、被災地に一日も早く平穏な日々が訪れるよう
心からお祈りしています。
コメント
※48
おっしゃるとおり、人との接点が少ないニートやっとります
やっぱこういう些細なことや環境で性格って歪むんだなあ
あ、※46に書いたことは密かに思っている本音であって、人前でこんな態度とる気はないけどね。「人当たりよく」ってのは今もこれからも心がけてる!
管理人さん、更新ありがとう
イリノイ州の人がこんな事してくれてたとか
今の今まで知らんかった
すげぇ嬉しい
こういった知られない応援の行動とかあるんだな
皆さんに幸あれ
涙が出てきた thank you( ´﹀` )